子育てが終盤に差しかかる50代。
子どもが巣立った後の「空の巣症候群」を避けるためには、生きがいを見つけるのが大事。
そんな言葉をよく目にするようになり、生きがい探しを始めましたが早々に挫折しました。
そこで今回は、私が生きがい探しをやめた理由や、生きがいを持たずにどう過ごしているのかをお伝えします。
生きがいとはなに?

生きがいは、生きる甲斐があるという言葉の略語です。
その言葉の通り、生きる上で心を支えてくれる張り合いのことで、生きがいがあることで自分の生きる意味や価値を見出しやすくなります。
人によってなにを生きがいとするかは違いますが、仕事や趣味、他者との交流、社会活動など、人が生きがいとしていることは世の中にたくさんあります。
実際に、内閣府が行った60才以上を対象にした調査では、男女別に次のような結果が出たそうです。
男性 | 女性 | |
1位 | 仕事に打ち込んでいるとき | 孫など家族との団らん |
2位 | 孫など家族との団らん | 知人や友人との食事や雑談 |
3位 | 趣味やスポーツに熱中しているとき | 趣味やスポーツに熱中しているとき |
引用:内閣府「生きがいを感じる時」
生きがいは人と接しているときやなにか夢中になるものがあると感じやすいことが、データから読み取れます。
私が生きがい探しをやめた理由
孫や家族、知人や友人が生きがいの対象になると、そこが崩れたときに自分の生きがいも失うことになります。
趣味やスポーツも同じです。
そう考えると、人や趣味を生きがいにしてしまうのは怖いと私は思いました。
「仕事が生きがい」と常々口にしていた夫も、50代に突入して定年退職後の自分をよく想像するようなると、「仕事が生きがい」の自分の足元の危うさを感じたそうです。
情熱を持って仕事をしたり、時間を忘れて没頭する趣味があり、それを生きがいとしている人を否定したいわけではありません。
ただ、そんなキラキラと輝く特別な生きがいを、誰もが必ず持っていなければいけないのか、という疑問を持つようになりました。
「孫ができると変わるよ」と孫がいる知人は言いますが、そもそも私は娘に「孫の顔を見せてほしい」と望む気持ちがありません。
親友と呼べる人もいないので、「孫や友人が生きがい」という発想自体を持ちにくいのかもしれませんね。

また、私は多趣味ではあるものの、どれも単純に楽しいから続けているだけです。
20年以上運営している無料ブログも然りです。


「たくさんの趣味やブログが生きがいなのでは?」と思われるかもしれません。
でも、趣味やブログを生きがいと位置づけてしまったら、そこに人生の意味や目的を見出す必要が出てしまいます。
私にとっては趣味やブログは日常のちょっとした息抜きであり続けてほしいので、これを生きがいと括ることに抵抗感がありました。
生きがいに振り回されずに毎日を過ごしてみる

英語に生きがいに当てはまる言葉はなく、reason to live(生きる意味)やpurpose in life(人生の目的)が近しい言葉なのだそう。
最近は生きがいをikigaiと表し、その概念が海外にも普及しているそうですが、個人的には言葉を知らなかったほうが幸せな面もあると考えてしまいます。
つまり、生きがいという言葉を知らなければ、「自分の生きがいってなんだろう」「生きがいのない私はダメなの?」と深く悩まずに済むのではないかと思うのです。
生きがいを意識しないだけで、随分と生きやすくなるのではないか。
そう思って、私の人生から一度、生きがいという概念を除外してみました。
生きがい探しをやめた今は、「生きがいがなきゃいけない」と自分を追い詰めることがなくなり、心が軽くなったのを感じています。
生きがいの代わりに「小確幸」
大きな目標や使命感がなくても、人は充実感を得ながら生きられます。
それは、心理学の世界でも実証されていて、結婚や出産といった人生の大きなライフイベントよりも、日常の小さな幸せをより多く得たほうが、人生そのものの幸福度が上がるとされています。
この価値観は、作家の村上春樹さんが自身のエッセイにて「小確幸(しょうかっこう)」という言葉で提唱しています。
私は30代のときに不安障害を発症し、そこから10年以上、長く暗いトンネルの中を歩いてきました。
自分の生きがいはなんだろう?と考える心の余裕すらなく過ごしてきましたが、その長く暗いトンネルの中で、日常にある小さな幸せに気づける自分へと変化することができたと思っています。
そんな私が50代を迎え、子育ての終わりが近づくにつれ、おそらく人生で初めて自分の生きがいを考える時間を持ってみました。
生きがいがある人生は素晴らしい。
それは間違いないと思います。
でも、ご飯がおいしかった、ゆっくりと布団で眠れた、好きな音楽を聞けた、温かいお風呂に入れた、夕焼けが綺麗だった。
どれも生きがいとはほど遠い、ささやかさを感じるかもしれませんが、それでも人は自分らしく幸せに生きられる。
私は、私自身の経験からそう思っています。
おわりに
生きがいがない自分に落ち込んで過ごすくらいなら、生きがいという言葉を一旦自分の外に置いてみてください。
生きがいについて考えなくなれば、色褪せた毎日が少しずつ色を取り戻して回り始めるかもしれません。
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