すべてのことに感謝をしなさいといわれても、嫌いな人や辛い出来事に感謝できる人は多くはありません。
それでは、本当は感謝していなくてもいいから、「ありがとう」とだけいいなさいといわれたらどうでしょう。
心をこめずにいうだけならできそう、と思いませんか。
しかもそれで人生が好転するというのですから、やってみない手はないですよね。
心をこめずに「ありがとう」を25,000回いうと起こること

「ありがとうの神様」の著者である小林正観さんは、心をこめなくてもいいからありがとうをいったほうがいい、と自身の著書で語られています。
その理由は、心がこもっていなくても発した「ありがとう」はエネルギーとなって相手や自分の体に溶け込み、「ありがとう」が持つ言葉の方向へと行動が伴うからだそう。
細かいやり方は割愛しますが、小林正観さんは「ありがとう」を25,000回いうと願いが叶い、50,000回いうと奇跡が起こり、そして年齢×1万回をいうと家族を救えるとしています。
最初はただ「ありがとう」といっていたはずが、回数を重ねるにつれて感謝したい人や出来事が「ありがとう」の言葉とともに浮かび上がり、涙が溢れて止まらなくなる。
そしていつの間にか、口から出るのは心のこもった「ありがとう」になっているそうです。
ただ「ありがとう」をいうだけなので誰でも気軽に取り組めることから、「ありがとう25,000回ゲーム(またはありがとう25,000回チャレンジ)」と称されて多くの方が実践しています。
私は「ありがとう25,000回ゲーム」はまだやったことはありませんが、「ありがとう」という言葉に計り知れないパワーがあることを「ありがとうの神様」を知る以前に感じたことがありました。
【体験談】「ありがとう」のすごい効果
20代で自律神経失調症、30代で不安障害を発症した私は、いつお腹が痛くなるかわからないのが怖くて、車で5分の距離にあるスーパーへの買い物すら行くのが辛い時期がありました。
(以後、トイレに関する話題となるので注意してください)
車に乗る前にトイレに行ってお腹がすっきりすると少しだけ不安が減りますが、いつも上手い具合にはいきませんし、一度すっきりして不安が軽減した経験をしてしまったことで、すっきりできないときの自分の腹事情に苛立つようになりました。
そんなある日、すっきりできないまま外出をすることになったのですが・・
怒ることにもう疲れてしまったのか、諦めの境地だったのか、それまでとは違ってこの日は自分のお腹に「そんな日もあるよね」とごく自然に発した後、無に近い気持ちで車に乗り込みました。(いつもは葛藤がある)
そして、車はあっという間にスーパーに着き、気づけば道中一回も「お腹が痛くなったらどうしよう」と思いませんでした。
それからは、
「トイレですっきりしない状態で車に乗っても、痛くならないでくれてありがとう」
「道中のトイレの場所を調べてくれてありがとう」
「トイレに行きたいと思ったときにトイレがあってくれてありがとう」
「しりとりを発明した人ありがとう!(道中にしりとりをすると気が紛れる)」
「家ではすっきりしなかったけど、目的地ですっきりしてくれて超エライ!(腸だけに)」
など、事あるごとに「ありがとう」と思うようになりました。
当時は「ありがとう」が自分の窮地を救ってくれる言葉になるとは思っていなかったものの、「ありがとう」を心で唱えることで「どうして車に乗れないのか」と自分を責めるばかりだった気持ちに少しずつ変化が生じ、家から出るのに一大決心が必要な状態から、車に乗っている時間が長い外出でも前のような強い不安がなくなっていきました。
今現在も、何も考えずに車が乗れる状態とはなっていませんが、お腹がすっきりしていなくても車に乗って旅行に行けるまでになっています。
「ありがとう」をいい続けたら起こった、嘘みたいな本当の話です。
「ありがとう」が幸福度を上げる理由

「ありがとう」は、重い荷物を運んでくれた、家事を手伝ってくれたなど、相手に対して感謝を伝えるときに使う言葉ですよね。
そのため、私たちは「ありがとうをいうときは、心を込めて丁寧にしなさい」と親や先生から教えられてきました。
裏を返せば、心を込めずにいう「ありがとう」は意味がないということにもなりますが、小林正観さんはそれでも奇跡が起こるといっています。
また、「ありがとう」の効果はスピリチュアルな話というわけではなく、脳科学や社会心理学的からも根拠があるものとされています。
理由①脳の認知的不協和
長年の経験によって私たちの脳には、「ありがとう」は相手に感謝する状況になって初めて発する言葉という認知が働いています。
そのため、朝起きていきなり「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・」というと、脳はありがとうをいう状況ではないのに、どうしてありがとうというのかが理解ができません。
これを認知的不協和といい、認知(感謝する状況にない)と行動(ありがとうをいう)に矛盾がある状態を好まない脳は、合理性を持たせるためにありがとうといえる理由や現象を探そうとします。
ぐっすりと寝れたこと、無事に朝を迎えられたこと、部屋を照らす朝日、心地よい鳥のさえずり。
これまで見過ごしていた当たり前の日常に意識が向き、そのことに感謝できるようになるのです。
最初は心のこもっていない「ありがとう」でも、発することで心から感謝する「ありがとう」に代わるというわけです。
感謝には恩恵的感謝と普遍的感謝の2種類があり、私たちが感じやすいのは他者からの親切などによる恩恵的感謝です。一方の普遍的感謝は、心地よい風やおいしい食事、あたたかい布団など生きることや暮らしへの感謝。普遍的感謝は当たり前に感じやすい分、普段は気づかないことも多いですが、「ありがとう」を先に発することで脳が普遍的感謝をキャッチし、日々の営みに感謝できるようになります。
私自身は、「ありがとう」の効果はスピリチュアルなものよりも、こうした脳の作用を利用したものと感じる部分が大きいです。
小さい不満や愚痴も認知的不協和によって大きくなる
体調がどん底のとき、私はいつも「どうして自分ばかりが」「〇〇がダメだったから」「私が辛いのは~のせいだ」と不平不満や愚痴ばかりをいっていました。
とはいえ当時は、メンタルが追い込まれてすぎていて、そう思ってしまう思考を止められなかったのもしかたないとは思っています。
暗闇を抜け出し、「ありがとう」の言葉が持つ力を実感している今になって思うのは、認知的不協和はポジティブな言葉だけではなく、不満や愚痴、文句といったネガティブな言葉についても、口から出ることで脳が関連する事柄や出来事を探してきてどんどんと結び付けてしまうのだということ。
自分が発した小さい不満がやがて勝手に大きくなり、自分を飲み込んでしまうイメージです。
日本には古くから「言霊」があると考えられていたように、自分がいった言葉は自分に還ってきて、そして自分の世界を作るのだと思います。
理由②「ありがとう」をいう回数が多いと人生に良い影響がある
「ありがとう」という言葉は、いわれた側(感謝された側)だけではなく、いう側(感謝する側)にもポジティブで良い影響を与えることが研究でわかっています。
しかも「ありがとう」をいう回数が多いほど、幸福度も上がるそうです。
理由①の認知的不協和でお伝えしたように、「ありがとう」をいえば脳がその先の感謝できることを勝手に探そうとしてくれるので、結果的に「私の周りには感謝したい人や出来事がたくさんあるな」と前向きになれるのも納得ですよね。
まとめ
不調、不安、不信、不穏。
更年期世代の50代は、そんな暗い言葉ばかりが自分の世界を占めているような気がしてならず、とてもじゃないけれど「ありがとう」をいう気持ちになれない人も・・。
それでも「ありがとう」を言い続けたら、目の前の景色が変わるかもしれません。
まずは自分に「今日も一日ありがとう」と伝えてみませんか。
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