専業主婦でいることに罪悪感を抱く自分から抜け出す方法

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「夫の稼いだお金を自分のために遣うのに気が引ける」
「家事しかしていない」
「自分名義で税金を払っておらず社会貢献できていない」

専業主婦がこうしたことに罪悪感を抱くと、「休みのない主婦業は年収換算すると1,000万円を超えるのだから、引け目を感じる必要はない」とか「専業主婦が家事や育児をしっかりとしてくれているからこそ、旦那さんは安心して仕事に行けるのだから罪悪感を持つ必要はない」など、励ましの言葉をかけてもらうことがありますよね。

それでも抜け出せない罪悪感・・。

どうすればいいのでしょうか。



もくじ

罪悪感を抱く根本の原因は専業主婦だからではない?

赤ちゃんを持ち上げる母親

50代主婦が抱く罪悪感の正体や解決法については以前、▷50代で専業主婦はダメ?働いていない罪悪感の正体と解決法という記事を書きました。

記事の中で私は、主婦が働くかどうかは夫婦の間で決めることであり、世間に問いかけるのはあまり意味がないと結んでいます。

今もその結論に変わりはありません。

それでも、専業主婦(※)の自分に猛烈に落ち込むことがあります。

どうしてなのかと悩む日々の中で、「私がもし専業主婦でなければ、罪悪感を抱かなかったのか?」という疑問にぶち当たりました。


(※)私は在宅でwebライターとして働いているため、厳密にいうと専業主婦ではありませんが、「働いて稼いでいる」といえるほどではないのが現状です。そのため、ここでは自分を専業主婦として表記しています。

そもそも罪悪感を抱くのは専業主婦だけではない

多忙を極める夫の中には、家事や育児を妻に負担させてしまい申し訳ないと感じている人がいます。

兼業主婦の中には、子どもと十分に過ごす時間がなく、いつも「早くして」といってしまうのがつらいと悩んでいる人がいます。

多様性が尊重され、結婚しても子どもを持たないと決めるのは個人の自由としながらも、生きにくさに苦しんでいる人もいます。

罪悪感を抱きながら生きているのは、何も専業主婦に限ったことではありません。

私は自分が専業主婦を脱すれば、今抱えている罪悪感を手放せるのではないかと思っていましたが、仮にパート主婦やフルタイム勤務に変わったとしても、そこでまた新たな罪悪感を持ってしまうかもしれません。

なぜなら、私は人一番、罪悪感が強いタイプだからです。

世の中には罪悪感が強い人と弱い人がいる

罪悪感が強い人罪悪感が弱い人
自己肯定感が低い
他人の評価を気にする
完璧主義が強く自分に厳しい
過去に固執する
自己主張しない
自己肯定感が高い
他人の評価を気にしない
完璧主義ではなく自分を責めない
過去は振り返らない
自己主張する

我が家は旦那が外で働き、私は家のことをやるという夫婦間の合意があります。

これは、私の体調などを考慮すればそれが合理的であるという、極めて冷静な旦那の判断が元になっています。

専業主婦である苦しみを旦那に打ち明けるたびに、「働けないことをどうしてそんなに責めるのか」と問われました。

一方の私は「なぜこの気持ちがわからないのか(わかってくれないのか)」と悲しくもなりましたが、何度も話し合っていくうちに旦那は私に完璧を求めておらず、「世間一般はこう」というものにもあまり捉われていないことに気が付きました。

つまり、罪悪感が弱いタイプだったのです。

世の中には、たとえ自分と同じ状況になっても、罪悪感を抱かない人もいます。

表のすべてが当てはまるほど罪悪感が強いタイプの私は、自分ではコントロールできない更年期の体調不良で寝込むことさえも、ひどく自分を責めてしまいます。

罪悪感が弱い人からすれば、悩みをわざわざ自分で作っているようにも映るのかもしれません。

罪悪感を持つのは悪いことではないが限度がある

罪悪感は一般的な社会理念や道徳または自分の中の価値観が元になり、自分が悪いことをしたときに感じるものですが、「次は気を付けよう」と自己反省を促すことで気づきや成長のきっかけとなるため、罪悪感を持つこと自体は必ずしも悪いことではありません。

ただし、生きづらさや自己否定、自分を無価値に思うなどの強い罪悪感は害でしかありません

私は専業主婦でいる今、専業主婦であることに罪悪感を抱いていますが、外で働いていたとしても家の片付けや掃除が完璧にできないと自分を責めたり、子どもが発熱などでやむを得ず休むときは異常なほど周りに申し訳なさを感じていたのではないかと思います。

専業主婦であってもなくても、罪悪感が強い自分でいる限り、体調は安定しないのかもしれません。

そんな思いから、「じゃあどうすればいいのか?」と本気で考えるようになりました。

必要のない罪悪感を抱いてしまう原因を見つける

罪悪感の負のループから抜け出すには、自分が必要のない罪悪感を抱きやすいタイプであると自覚することが大切です。

次に、どうして自分は必要のない罪悪感を抱きやすいのか、原因を見つける必要があります。

罪悪感を抱きやすい性格は、どんな過去を経て形成されてきたのか。

私は子どものときからの記憶を遡ってみることにしました。

私の両親は私が幼いときに離婚をしており、私は兄弟と一緒に母に引き取られています。

母子家庭となってからは、根が真面目すぎる長女気質の私は「仕事で忙しい母の手を煩わせてはいけない」と感じ、甘えることなく育ってきました。

私は母から「あなたたちがいなければ、こんなに苦労しなかったのに」といわれたことはありません。

それなのにいつしか、「私がいなければ母はもっと楽に生きられたのでは?」と考えるようになりました。

自分の存在が母の邪魔にならないように気を遣い、仕事で疲れて不機嫌な母を見ては「私が悪い子だから母は不機嫌なのだ」と思うようになりました。

罪悪感が強い人の中には、インナーチャイルドとの関連が考えられる人も多いそうです。



インナーチャイルドとは?

内なる子どもという意味のとおり、大人になった自分の中に子どものときの自分がいることです。

幼少期のトラウマや親に甘えられなかったといった過去の経験が大人になった現在にもつながっていて、「自分が悪いからこうなっているんだ」といった思い込みを生じてしまうもので、心理学的には「インナーチャイルドが傷ついている状態」と表現します。

親の不機嫌という条件が同じでも、耐性が強い子は「忙しくて疲れてるんだなー」と軽く流せてしまうのでトラウマにはなりませんが、耐性が弱い子は「私がいるからこんなになるまで働いているんだ」「親に苦労させている自分はいないほうがいい」などひどく傷ついてしまい、それがトラウマとなって残ってしまう。

子どものとき、繊細すぎて周囲から「ガラスの心」といわれていた私には思い当たる話です。

若くして一家を支えるために働きづめだった母に対し、私は「あなたのせいで弱い自分になった」と責める気持ちはありません。

とはいえ、それとは別に、私の罪悪感の抱きやすさは持って生まれた気質と育ってきた環境が無関係ではないとも思えました。

ちなみに、インナーチャイルドが傷ついている人をアダルトチルドレン(AC)といいます。

アダルトチルドレンは1970年頃のアメリカで生まれた言葉で、当初はアルコール依存症の親の元で育った大人を指していましたが、現在は機能不全家族で生まれ育った人全般をいいます。

驚くことに、日本人の8割はアダルトチルドレンといわれているとか。

程度の差はあるものの、誰もがみな、生きづらさを抱えて生きているのです。

※私はプロの心理士ではありません。あくまでも自分の罪悪感を抱きやすい性格(気質)を調べていったら、インナーチャイルドに行きついたという話です。人それぞれ罪悪感を抱きやすい原因は違うので、「こういう可能性もあるかもしれない」という感じで読んでいただけると幸いです。

必要のない罪悪感を抱きやすい自分から抜け出す方法

メモとペン

私が罪悪感を持ち続けてしまうのは自分が弱く、努力が足りないからだ。

もしくは、こんなに辛い私に理解を示してくれない周囲のせいだ。

私も以前まではそんなことを思ったりもしていましたが、今は少しずつですがそうは思わなくなっていて、必要のない罪悪感を手放せるようになってきました。

その理由は、インナーチャイルドを癒すという方法を知ったから。

罪悪感を抱きやすい人すべてがインナーチャイルドが傷ついているというわけではありませんが、言いようのない罪悪感がいつも胸の奥底から湧いてきて、自分を追い込みすぎていると感じている場合は、罪悪感を打ち消すのではなく自分のインナーチャイルドと向き合ってみるという視点を持ってみるとよいかもしれません。

インナーチャイルドの癒し方について

インナーチャイルドを取り扱っている人の中には心理士やカウンセラーなどがいますが、話し方・話す内容などは人それぞれ。自分に合う人やサイトを見つけるのがよいでしょう。私は森ようこさんのサイトがとても参考になりました。ちなみに森ようこさんは、心理士などの資格は持っていないとサイトに書かれています。ご自身の経験からインナーチャイルドに行き着き、会社を興してメソッドを提供している方です。

youtubeも発信しているので、よかったら見てみてください。


ここでは、私が罪悪感を抱く自分から抜け出すために実践している2つの方法を紹介します。

気持ちを言葉にして書く

過去のこと、今現在のこと、幼少期の記憶、封じ込めていた思い出などと併せて、その時々に感じていたこと、嫌だったことなどを言葉として書き出します。

ノートやメモなどに書いてもよいですが、私はこのブログに綴っています。

「え?そんなことどこかに書いてあった?」と思いますよね。

私が書きなぐった言葉は、誰の目にも触れていません。

思いつくままキーボードを叩いて感情を吐き出すと、胸が苦しくなって涙が出てきますが、その後すっきりして書いたものはすべて消去しているからです。

自分の気持ちを吐き出しているときは、誰かに遠慮したり、誰かに読まれてもいいように言葉を選ぶなどは一切していません。

第三者に「つらかったね」といってもらったわけではなくても、自分のドロドロとした気持ちを言葉にして読み返すことで、私はこんなに傷ついていたんだと自分を客観視できるとともに、今まで頑張ったねと思えます。

※自分の素直な気持ちや過去のトラウマを書いているときに、記憶がフラッシュバックしてつらくなったり、どん底まで落ち込んでしまうといった場合は、自分だけでどうにかしようとせず、心理士やカウンセラーなどのプロに頼ってください。

罪悪感を抱きやすい自分を受け入れる

家族は「気にしないでいいよ」といってくれているのに、それでも罪悪感を持ってしまう自分の心の弱さが許せない。

そんなことも私がよく感じていたことです。

振り返れば、私自身、若いときから弱い人を許せないところがありました。

弱い人はどこか甘えがあると思っていたからです。

弱い人を許せなかった私は、自分が弱くなったときに自分のことも許せなくなりました。

どうすれば罪悪感を抱かずにいられるのか悩み続けていたある日、なんだか急に「罪悪感持つなっていわれてもなー。どうしても持っちゃうんだもんなー」と、ある種の自分への諦めというか呆れというか、そんな気持ちが沸いてきました。

同時に、ふっと心が軽くなったんです。

罪悪感の強い自分を認められず、どうにか直したいとばかり考えていたときの私は、弱い自分を受け入れることさえできていませんでした。

これが私だからしかたないと開き直ってみたら、弱い自分を少しだけ許せて、さらに「専業主婦は社会のお荷物」などと攻撃する人のことも少し許せました。

というか、あまり気にならなくなったというのが正解かもしれません。

人をむやみに攻撃する人も、私と同じ弱い人だと気づいたからです。

まとめ

私が在宅ワークをしながら娘を育てているのを見た母から、「私(自分)の背中を見て育ったから、あなたは子どもを第一に考えて専業主婦を選んだのね」といわれました。

もちろんそれだけが理由ではありませんが、子どものときにいつも寂しい思いをしていたのは事実で、娘には同じ思いはさせたくないという気持ちはありました。

娘のためと思った選択でしたが、振り返ってみると、幼いときから成長を間近で見続けていられたのは、とても幸せでありがたいことだったと素直に思えます。

この記事を書いている今も、専業主婦である自分に100%罪悪感がないわけではありません。

ですが、罪悪感を持ってしまう自分の気持ちに蓋をせず、吐き出し、過去の自分を受け入れるようになったら、心の重しは以前と比べて随分と軽くなった気がします。

罪悪感が強い自分に悩んでいる方がいれば、そんな自分を叱責したり激励するのではなく、幼いときの記憶や感情を引き出して寄り添ってみるという別の視点を持ってみることをおすすめします。







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